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乳酸菌とのであい vol.3

執筆者の写真: 3B Japan3B Japan

コラム「乳酸菌とのであい」シリーズは3B通信 No.83 (2023.夏号)に掲載されたものです。

古稀を迎えた、株式会社3B Japan代表の大澤永江が乳酸菌との出会いを振り返るコラム。

是非、お付き合いください。



🔷レストラン常連の医師から日本医師会雑誌を頂戴す。


40年近く前の田舎のフレンチでしたので、平日は暇。週末、近隣の医師やそのご家族が来るようなお店でした。そんな中、仲良くしていたお医者様に、不本意ながら乳酸菌の代理店になってしまった話をしました。彼もヤクルトやヨーグルト位しか知りません。1週間後、「僕は読まないから、君にあげる。」と持ってきてくれたのが1988年新春号の日本医師会雑誌。これが、私の乳酸菌人生の転機となったのです。この雑誌の巻頭を飾っていたのは、悪玉菌・善玉菌の言葉を造語した光岡知足先生の論文でした。光岡先生は前年度、日本学士院賞を受賞された腸内細菌学のパイオニア的存在。私は偶然にも腸内フローラの最先端の論文を手にしていたのです。「腸内フローラと宿主の健康や疾患は深い関係が明らかになった。」の文を読み、興奮で心が震えました。論文の結論と私が出会った昭和天皇陛下にも通じる確かな乳酸菌がどれ程整合性のあるものかを調べたい。知りたい。そんな思いに駆られる人生が始まりました。


腸内フローラは、当時まだ研究者の世界で一般的には情報無し。先人のいない仕事で誰の教えも請うことも出来ません。この日本医師会雑誌を手にしなかったら、遠の昔に挫折していたことでしょう。フレンチレストラン“シェ・オーサワ”は乳酸菌との出会いと私の人生を決める舞台となりました。一方で、時代はバブル崩壊期。夫から「君のパトロンはもう無理。」と言われて、店は黒字になることなく、1991年に閉じました。経営的には失敗でしたが、一生をかける乳酸菌に出会うことが出来ました。



🔷1990年、乳酸菌存続の危機


運命的な出会いをした乳酸菌サプリですが、早速困難に行き当たります。創業者は、優れた商品だから簡単に売れるだろうと考えていたようですが、思うように行きません。世の中がバブルに踊る中、社長は、乳酸菌は私の後輩に任せて、不動産投資に走りました。そして、バブルが弾けた折に、夜逃げ。晴天の霹靂です。しかし、その頃には乳酸菌の良さを確信していた私は、後輩の相談を受け、資本を提供し、新しい会社を作ることになりました。資本金1000万円がないと株式会社が出来ない時代。半分弱を協力し、新たな会社がスタート。


私は家族を抱える身でしたので、共同経営者というより、立場的には一代理店の様なものでした。



続きは8月25日(金)に更新されます。

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