光岡知足先生はその60年を腸内細菌学の研究に捧げ2020年12月、90歳で永眠しました。彼の存在無くして、腸内細菌学は語れません。ここに改めて光岡先生の業績を称賛し、1988年に彼の論文に出会って、この結論を心に刻み、牛の様な歩みながら実践して来た自分の道を重ねたいと思います。(光岡先生最後の著書:「共生の法則」出版社ハンカチーフブックスより)
●1953年東京大学農学部獣医学部大学院に入り、腸内細菌の研究に取り組む。
当時は殆ど手つかずの領域で学問的土台など無き状況。
人や動物の腸内にどんな菌が棲み、どんな影響を与えているか確たるもの無し。
腸内細菌分類以前に、それを取り出す培養法無し。
腸内細菌の多くは空気を嫌う菌(嫌気性菌)で試験管の中に嫌気性環境を作ること難しい。
理化学研究所に入所し、菌の培養に取り組む。
様々な栄養分を混合させた独自の寒天培地を作り、便を培養。
→赤ちゃんにしかいないとされたビフィズス菌を沢山観察することが出来たが最初は誰にも信じて貰えない。
定説に絶対的根拠がなく、わからないことばかりの世界でアドバイスも無し。
仮説を立てて、検証し、答えを出す。ゼロからの創造の日々。
研究を重ねることで「プレート・イン・ボトル法」を考案し、画期的に培養が容易になる。
菌の同定が効率良く行える「多菌株接種同定装置」の開発。結果手作業から270倍の効率で菌の同定が出来るようになる。
培養法の確立と腸内細菌のおおよその生態が見えてくるまで20年近くの歳月を要する。
→腸内細菌学の樹立 (1970年代)
善玉菌・悪玉菌の言葉を作り、腸内細菌と食事の関わりについて一般の人に伝え始める。
1988年、それまでの業績が評価されて、日本学士院賞を受賞。
同年、日本医師会雑誌に最新の情報として「腸内フローラと生体」が掲載される。
プロバイオティクス、プレバイオティクス、バイオジェニックと腸内細菌論を打ち立てる。
2007年、腸内細菌研究者に送られる世界最高峰の国際微生物賞、メチニコフ賞を受賞
2020年12月、死去
●それに繋がる大澤永江の歩み
1988年2月に乳酸菌サプリに出会い、仕事とする。昭和天皇陛下の為に乳酸菌飲料を開発した風間博士が、人の便から抽出した乳酸菌カザマ株を食品化したものでした。
同年春、日本医師会雑誌掲載 光岡知足著「腸内フローラと生体」の論文に出会い、“人の疾患と腸内細菌は相関関係にあることが明らかにされた。”の結論に注目する。
以来、信頼出来る自分の取り扱う乳酸菌サプリと“人の疾患と腸内細菌は相関関係にあることが明らかにされた。”を仕事の基本に仮設を立て、乳酸菌の効果を検証する人生が始まる。
まさに、日本学士院賞を受賞し、社会的に評価され始めた初期段階に光岡先生の論文に出会い、乳酸菌の仕事の参考にして行くこととなりました。一般的には腸内細菌・乳酸菌の効果など全く語られない、知らない時代です。33年を経過し、光岡先生の腸内細菌研究60年の約半分の歳月を実践者として歩んだことになります。また、私が生まれた年に先生が腸内細菌研究に進んだことを知り、勝手に運命を感じ、光岡先生が亡き後、先生の腸内細菌研究から得た哲学や腸内細菌の世界の素晴らしさがさらに公理となる様に尽くしていきたいと思います。
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